ほとんどの学校が今日が終業式で通知票を持って帰ってきたと思います。
”志望校、あきらめて変更しようか”
ウチにも高校受験の子どもがいるのですが、たぶんこんな記事はみていないと思うので、親バカなひとり言として書き留めておこうと思います。
”それとも、あきらめないで、もうちょっと頑張ってみようか…”
もしもあなたが、学校の先生や塾の先生、友達、親から
「現実を見なさい」「もういい加減あきらめたら?」
と言われ、胸が引き裂かれそうに苦しくなってしまっているのならば・・・。
私はあなたに伝えたいことがあります。
『あきらめるかどうかって、やめるかどうかって・・・これってどうやって決めるんだろう?』
もしかすると、あなたも言われたかもしれない。
「もうあきらめた方がいいんじゃない?」とか、
「いい加減、現実を見なさいよ・・・」とか、
「あんたは自分のこと全然見てないのね・・・」とか。
私はこれまでも、たくさん言われてきました。
高校受験でももちろん。
大学受験でも言われてきたし、就職試験や国家試験やその他の各種試験など。
なんなら、最近で例えるならば、15年も前になりますが、開業すると決めた時なんかもよく言われたりしたのを覚えています。
「あきらめなさい」と言われるのに対して、私はこんな風に聞き返してしまいます。
「何で?」「どうして?」と。
すると、こんな答えが返ってくるんですね(`_´)重複しますが・・・。
A「現実を見なさいよ」
B「あんたには無理でしょ」
C「どう考えても無謀だよ」
AやBやCの意見はどれも同じ内容。
私はそう言われるたびに、1つのこんな想いに駆られます。
多分この質問、この想いの答えが、きっとあなたを救えることになると思えばと、私は今、Macのキーボードをカタカタ叩いています。
私の頭を毎回よぎるその質問。
「現実・無理・無謀」っていったいぜんたい、なんぞや?
これを考えないことには、話は進んでいかないんです。
だから、まずはここから一緒に考えてみたいです。
まずは、あなたを止めようとしている最大公約数のひとの意見から。
「やめといたら?」と言ってくれる人が、どんな風に考えているのかを分析してみましょう。
彼らの大多数はおそらくこんな風に考えてる。
”今のこの子の状況から行くと、失敗する・無理な可能性が高い”
↓
”失敗した時には、この子は悲しむだろう”
↓
”だったらやめといた方がいいんじゃないか”
↓
”よし、辞めるように言ってみよう”
たぶんこーんな感じ。
これを想像してみた時、私には1つの疑問が頭に浮かんできました。
あきらめなさい?
はっ?え!?どうして「無理」かどうかを、私じゃなくてあなたが決めるんですか?
私が誰かに「あきらめろ」「ムリ」「ムボー(無謀)」
なんて言われてしまった日には、私は絶対にこう思ってしまうんです。
確かに、現状のままだと、厳しい部分があるんだと思います。
そう言われてしまうからには、「わたし、やっぱり無理なのかな」な側面があるんでしょう。
でも、それであきらめるかどうかを最後に決めるのって、「自分」だよな。
と私は思うんです。
だから別に”あきらめろ”と言われても、
”ムリ”だとか、”ムボー(無謀)”だと言われても、あなたがあきらめたくないなら、あきらめる必要はないんじゃないか?
そもそも、別に失敗したっていいじゃないか。
私は人生に失敗がつきものだと思っています。
(もちろん反社会的行為など、してはいけない失敗は除きますが)
いや、もっと正確に言えば「成功」する人生は、その分「失敗」が必ず付いてくる。
そもそも「成功」とは・・・。
書き出すと、ものすごく長くなってしまうのでやめておきますが。
あなたが最後に「成功だった」と胸を張って言うためには、絶対に「失敗」を経験しないといけないのです。
それが怖いというのなら、成功も失敗もない「無難な人生」を歩んでいけばいいと思います。
でも、私はそれでは面白くないと思う。
失敗も成功もない無難な人生か、
または失敗もあるけど最後に大きな成功を掴むアリガタイ人生か。
あなたなら、どっちを選びますか?
アリガタイ人生を選ぶというのなら、もう少し先までお付き合いください。
結局、大事なことってコレだと思うんですよね。
志望校をあきらめるorあきらめない。
その未来であなたが想うこと。
そして未来であなたが何を想い、何を感じるかということ。
①あきらめちゃった選択
②あきらめなかった選択
を一緒に考えてみましょう。
①⇒志望校をあきらめちゃった選択をした
志望校をあきらめることになったら、あなたは何を感じるでしょうか。
「よし、志望校をあきらめよう」
そう決めた時から、きっと「本当にこれでいいのかな…?」
と考え始めます。
そして、きっとその決断をした自分を責め始めます。
「やっぱり自分はやっても無駄だった」
「あきらめたんだから、もう納得しろよ」
「どうせ自分には難しい壁だったんだって」
などなど。
そして、そのままあきらめたことが心のしこりとなって、残ります。
「自分はあの時あきらめたからなー…」
これをずっと考え続けることになります。
次第に、何か新しいことを始める時も、ものすごーく不安になります。
成功するか、しないかよりも自分に果たしてやりきれるんだろうか?
と悩み、挑戦を恐れ、失敗を怖がります。
失敗を怖がるということは、成功も失敗もしないってことです。
つまり、ただの無難な人生ですね。
②⇒志望校をあきらめなかった選択をした
じゃあ、志望校をあきらめなかったら、あなたはどう感じるでしょうか?
きっと、苦しいと思います。
私の苦悩を言いますと
「本当に俺ってできるのかな…?」
「このまま目指してて本当に大丈夫かな…?」
「あきらめないでも本当にいいのかな…?」
ですが、これを考えている間は実はまだ「あきらめない選択」なんてできてないのです。
正確に言うと、99%は「あきらめないで頑張ってみようかな」と考えてる。
でも、心の中の1%が「あきらめようかな」っていってる状態なんです。
100%「あきらめない」って決めきれていない。
これでは苦しいに決まってます。
だって、まだ迷ってるんだから。
これを100%決めきったら、あなたはきっとこう思うはずです。
「何を迷ってたんだろう。あきらめないで、やればいいじゃん!あー、すっきりした!」
そうなったら、あきらめない選択が100%できた証拠です。
でも、もしもあきらめない選択をしたら、あなたは失敗するかもしれません。
でも、もしかすると成功するのかもしれません。
成功するか、失敗するかこれって誰がわかるんですか?
あなたはわかりますか?
友達はわかりますか?
先生ならわかりますか?
親はわかりますか?
結局、成功するか失敗するかは、誰にもわからないんです。
だったら、現実って誰が決めるの?
今のあなたが成功するか失敗するかなんて、どこの誰にもわからないはずなのに。
なぜか「今のあなた」の状態を見て、先生をはじめ最大公約数の大人たちは、未来が見えているかように指摘をしてしまうんです。
もしかすると、今のままだと失敗する確率がすごく高いのかもしれない。
でも、だからって100%失敗するんですか?
「今のまま」では足りないというのなら、「今」を変えるしかないじゃないか。
失敗を恐れ、挑戦を怖がっているうちは「今を変える」ってことができないんです。
「今のままでは失敗するかも」
それならば、もっと今を変えたらどうですか?
これが私があなたに一番伝えたい言葉です。
『あなたが無理なら無理だよ』
ここまで読んで、そんなの無理だよ、と思ってしまうかもしれない。
でも、私はあなたならできると思う。
もし、これを聞いても、「俺には、私には無理だ」って言うのなら、私にはどうしようもない。
だって、それはあなたの人生だから。
もしかすると、これを読んでみて
「なんだ!ミッチェルお前冷たいな!」と言われてしまうかもしれないけど、私はあなたの人生には何の責任も持てない。
それを承知の上で伝えます。
『あなたの人生をあなたが自分で背負う覚悟はあるか』
結局はこれに尽きると思います。
あなたが失敗するか成功するかも未来は見えないからわからない。
もしも、失敗してもいいかどうか、それを決めるのも完全に自由。
あなたは完全に自由なんです。
だからこそ、自由に選んでいいということは、その選択に対して責任と覚悟を持てるかってこと。
それは誰かに対しての責任とかじゃなくて、結局、自分自身に対しての責任や覚悟。
これが問われているんです。
ここまでわかった上で、あなたが志望校をあきらめないというのなら、私は全力であなたと向き合います。
全力であなたを成功に向けて導いていきます。
最後に決めるのはあなたです。